箱根強羅温泉の歴史
強羅温泉は現在、箱根十七湯のひとつとして賑わいを見せている温泉地ですが、かつては荒れはてた原野でした。
約4000年前の箱根火山・神山噴火などにより、土石流堆積物や火山性堆積物、火山灰や早雲山の泥流堆積物などが重なり覆われていたのです。
ごろごろとした巨岩が多く地盤も固かったため、農地として利用されることもなく、山桜などの潅木林や山百合などが生い茂る雑木林でしかありませんでした。
そんな荒れた土地の強羅ですが、一大温泉郷として開発されるまでの間、所有者がどんどん変わっていった歴史があります。
はじめに強羅に開発の手が伸びたのは、明治21年。所有者は平松甚四郎氏の頃です。早雲山噴煙口から、現在の早雲山駅付近である上強羅に温泉が引き湯され、これが強羅温泉開発の第一歩だったと言われています。
その後、強羅の将来性に着目した東京の酒問屋・山脇善助氏(当時の所有者)が、強羅を「一大温泉郷」にするという前人未到の開発計画が進められていきました。
しかし残念なことに、資金難により強羅開発は2年で中止となったのです。
その後、新しく強羅の所有者となった香川泰一氏、高橋秀松氏らが山脇氏の壮大な強羅開発を引き継ぎ、宮城野~強羅~早雲山をつなぐ道路の開通、層雲山・大涌谷からの引き湯、大浴場の建設、旅館の開業など、20年ほどの年月をかけて、温泉郷としての基礎が築かれていったのです。
強羅の別荘地開発と分譲
明治44年には、強羅は、当時の土地の所有者から小田原電気鉄道(現在の箱根登山鉄道株式会社)に譲渡され、明治45年には、温泉付き別荘地として強羅の土地分譲開発がはじまりました。
別荘の所有者となったのは、当時の財界人・三井物産創立者の益田孝氏、小田原電気鉄道の当時の社長・草郷清四郎氏らの人脈のつながりのある人により、所有者が構成されていたようです。
当時の政財界を代表する人たちが、強羅で別荘を持ったことから、強羅で別荘を持つことのステイタスが高まっていった時代でもあります。
大正8年に箱根登山鉄道が開通してからは、さらに多くの財界人、文人などが集う高級別荘地として発展を遂げてきた歴史があります。
(写真は、大正時代の別荘地の面影を残す旅館、強羅環翠楼)